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2007/10/08

谷口ジロー『シートン』を読んだ

谷口ジローの『シートン…旅するナチュラリスト… 第1章 狼王ロボ』を読んだ。

ダメだねぇ、酔っ払っているときに読むもんじゃない。
狼王ロボが罠にかかるところから後は、涙でにじんでしまって、ページがよく見えない始末。

ワシの年代の男は、だいたい、男の子だったころ、『シートン動物記』を読んで野生動物の生態を学んだものである。
狼王ロボ、灰色熊ワーブ、ギザ耳ウサギ、等々。
戦後の高度経済成長期、都会だろうが田園だろうが、野生動物との出会いは決して日常的ではなかったから、遠い世界の話だった。

ましてや、シートン動物記の舞台である19世紀末のアメリカは海のかなたであるし、過去でもある。
なんとなく、遠い世界の冒険物語のように読んだように思う。

何の因果か大学では作物学を専攻しながらも野生動物を追いかけ、卒業してからも足繁く山に通うようになった。
大学時代の仲間とアラスカを訪れ、動植物の生態という観点からすると、海のかなたの世界も言わば「地続き」であることを知った。
日本の自然とは異なっていても、なんとなく馴染みがあるような感じがしたのだ。

また、子供のころは(誰でもそうだと思うが)素朴に、昔の人は無知で野蛮に思っていた(科学技術文明の発展こそが進歩、みたいな時代だったしね。いま周りを見渡せば、携帯電話を使いこなすバカの多いこと。失礼)が、大人になってみると、どの時代の人も人間として変わりのないものだと知った(少なくとも数万年は変わっていないはずである)。
自然は生活の糧を分捕るための対象であると同時に、畏れ敬う対象でもある、という感覚もまた、人類の歴史を通じて変わらないものだろう。

大人になってから読むシートンには、子供のころとはまったく違う味わいがある。
谷口ジローの丹念な自然の描写と、感情などの誇張のない人々の描き方は、シートン動物記をマンガで表現するのに適任だと思った。
この作品では、アーネスト・シートン自身の挫折も描かれる。

動物画家シートンは、パリのサロンに出品した大作「オオカミの勝利」を落選させられる。
評者いわく
「魂のない野生動物の犠牲者として魂を持つ人間を描くことは、神ではなく自然が支配者であると主張するに等しい」

ま、ワシは魂というやつは見たことがないので何とも言えないが、われわれの生死を支配しているものは、人間が作ったミームである神ではなく、生活基盤であるところの自然だと思うよ。

キリスト教的価値観に嫌気がさしたシートンは、「自然」と対峙するべく、狼王ロボの住むニューメキシコ・カランポー高原に向かったのである。

オオカミの消えた大地が描かれた最終ページを寝転がって眺めていたら、こんがやってきて枕もとに座り、ワシの顔をベロベロと舐めた。
オオカミの末裔が家の中をちょろちょろしていることも、ロボに感情移入しやすくなっている一つの要因だろうね。

いや、ロボに感情移入しているシートンに感情移入しちゃうのだろう。
……ややこしいな。

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