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2007/10/19

エコノミックアニマル

「エコノミックアニマル」というのは、死語だろうか。
高度経済成長期の日本人は、こう揶揄されたのである。
まぁ、今でも赤福の経営者やミートホープの社長は、エコノミックアニマルと言われても仕方ないかもね。

さて、エコノミックアニマルを文字通りに「経済的動物」と考えると、すべての動物はエコノミックアニマルなのだ。
動物だけじゃない、生物とはエネルギーや物質について「経済的」でないと生存できないので、エコノミックプラントやエコノミックバクテリア、なのである。

ワシの専門領域である(あった)植物についてみてみよう。
生育環境が悪化したとき、植物はむざむざと枯れてしまうわけではない。
例えば、花の数を増やしてたくさんの種子を作ってばら撒いたりする。
葉や茎への投資を抑えて、花に投資するのである。

(続く)

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2007/10/08

谷口ジロー『シートン』を読んだ

谷口ジローの『シートン…旅するナチュラリスト… 第1章 狼王ロボ』を読んだ。

ダメだねぇ、酔っ払っているときに読むもんじゃない。
狼王ロボが罠にかかるところから後は、涙でにじんでしまって、ページがよく見えない始末。

ワシの年代の男は、だいたい、男の子だったころ、『シートン動物記』を読んで野生動物の生態を学んだものである。
狼王ロボ、灰色熊ワーブ、ギザ耳ウサギ、等々。
戦後の高度経済成長期、都会だろうが田園だろうが、野生動物との出会いは決して日常的ではなかったから、遠い世界の話だった。

ましてや、シートン動物記の舞台である19世紀末のアメリカは海のかなたであるし、過去でもある。
なんとなく、遠い世界の冒険物語のように読んだように思う。

何の因果か大学では作物学を専攻しながらも野生動物を追いかけ、卒業してからも足繁く山に通うようになった。
大学時代の仲間とアラスカを訪れ、動植物の生態という観点からすると、海のかなたの世界も言わば「地続き」であることを知った。
日本の自然とは異なっていても、なんとなく馴染みがあるような感じがしたのだ。

また、子供のころは(誰でもそうだと思うが)素朴に、昔の人は無知で野蛮に思っていた(科学技術文明の発展こそが進歩、みたいな時代だったしね。いま周りを見渡せば、携帯電話を使いこなすバカの多いこと。失礼)が、大人になってみると、どの時代の人も人間として変わりのないものだと知った(少なくとも数万年は変わっていないはずである)。
自然は生活の糧を分捕るための対象であると同時に、畏れ敬う対象でもある、という感覚もまた、人類の歴史を通じて変わらないものだろう。

大人になってから読むシートンには、子供のころとはまったく違う味わいがある。
谷口ジローの丹念な自然の描写と、感情などの誇張のない人々の描き方は、シートン動物記をマンガで表現するのに適任だと思った。
この作品では、アーネスト・シートン自身の挫折も描かれる。

動物画家シートンは、パリのサロンに出品した大作「オオカミの勝利」を落選させられる。
評者いわく
「魂のない野生動物の犠牲者として魂を持つ人間を描くことは、神ではなく自然が支配者であると主張するに等しい」

ま、ワシは魂というやつは見たことがないので何とも言えないが、われわれの生死を支配しているものは、人間が作ったミームである神ではなく、生活基盤であるところの自然だと思うよ。

キリスト教的価値観に嫌気がさしたシートンは、「自然」と対峙するべく、狼王ロボの住むニューメキシコ・カランポー高原に向かったのである。

オオカミの消えた大地が描かれた最終ページを寝転がって眺めていたら、こんがやってきて枕もとに座り、ワシの顔をベロベロと舐めた。
オオカミの末裔が家の中をちょろちょろしていることも、ロボに感情移入しやすくなっている一つの要因だろうね。

いや、ロボに感情移入しているシートンに感情移入しちゃうのだろう。
……ややこしいな。

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2007/10/07

インターネット回線を変えた

もう昨日になってしまったが、10月6日、我が家のインターネット回線を、CATVの5Mbpsから、Bフレッツ光プレミアム100Mbpsに変えた。
速いから、というより、「インターネット+プロバイダ+電話」の合計料金が安くなるからである。

工事は午後2時から始まって、午後3時半に終わった。
そのうち1時間は、光の幹線からウチへの引き込みにかかる時間だった。
ウチの並びの電線にはまだ光が来ていなかったらしく、延々と引っ張っていた。

VoIPによるデジタル音声変換をかけた電話の音声は、アナログと変わりないようだ。
停電すると電話が使えなくなってしまう、という欠点はあるが、携帯電話が使えるなら、家族が音信不通になることもなかろう(下のムスメも4月に高校生になったら携帯電話を持つようになるし)。

面倒だったのは、ONU、CTU、VoIPアダプタと、三つもの機器を電話の脇に置かなければならないことだ。
場所はとるし、電源タップは必要だし。

幸い、ONUとCTUは壁掛け可能だったので、早速壁にネジを打って、電話の上に掛けた。
CTU(ルータ兼用)からPCへと引っ張ったLANケーブルは、モールを買ってきて隠した。

無線から有線に逆戻りだが、セキュリティ的には安心かもね。
100Mbps出るから、画像等のダウンロードが速くて快適だしね。
動画やテレビ電話は使わないと思うが、単なる画像でも、こうしてみると速いに越したことはない。

無事に光回線が通じたので、今度はCATVインターネットの契約を解除しなくては。

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2007/10/04

マグネシウム社会

『日経サイエンス2007年11月号』を読んでいる。
その中の矢部孝(東京工業大学)「太陽光レーザーが拓くマグネシウム社会」は読んでいてわくわくしてきた。

太陽光をプラスチックの平面レンズ(フレネルレンズ)で集めて太陽光励起レーザー素子に注ぎ込み、数万℃の高温の近赤外線レーザー光を得る。
それだけでもすごい話なのに(話だけではなく実証実験中だ)、その高温を利用して社会のエネルギー基盤を変えてしまおうというのである。

四半世紀前に「水素エネルギー社会」が提唱されたとき、すぐにでも化石燃料をエネルギー基盤とする社会が変わるのではないかと、大いに期待したものだ。
しかし、水素はなかなか扱いづらい物質であるため、実用化への道のりが長かった。
町のスタンド(エネルギーステーション)では、やっぱり水素ではなくガソリンを売っている。

それが、ガソリンスタンドがなくなり、コンビニでマグネシウム燃料パッケージを買うようになるというのだ。
もちろん、利用後の酸化マグネシウムは、パッケージのまま店に持って行ってリサイクルに回す。

マグネシウムの酸化を利用した燃料電池は、排気ガスを出さない自動車(電気自動車)などに使える。
マグネシウムを燃焼させて火力発電などの熱源に使うこともできる。
石炭よりも効率は良くないらしいが、二酸化炭素を排出しないので、地球温暖化の対策になる。

マグネシウムを燃焼させると、酸化マグネシウムになる。
その酸化マグネシウムから酸素を取り除き、金属マグネシウムに戻すのに、近赤外線レーザーの生み出す高熱を使うのだそうだ。

かつて期待された水素は、低温超伝導ケーブルネットワークの冷却材兼燃料として供給しようという構想)もあり、いまも実用化が検討されている。
しかし、テロの危険などを考慮すると、水素を都会に持ち込むのは考えものだ。

水素ではなく、マグネシウムがエネルギー基盤を変える本命となるのだろうか。

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