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2007/08/08

「この瞬間」は存在するのか

近距離用の眼鏡が合わなくなってきた。
長らくPCのディスプレイに向かっていると、頭痛がしてくるのである。

そこで新しい眼鏡を作ることにして眼鏡屋へ出掛けたら、遠近両用を勧められた。
いやぁ、ついに来たか。

そもそも近距離用と遠距離用の二つの眼鏡を使い分けているのも、近視+老眼のため遠くも近くも見づらいからだ。
遠近両用ならば、会議のときに遠距離用を持って行かなくても済む(近距離用眼鏡では、プロジェクタの表示が見えないのだ)。
家でも、テレビの字幕が読めない、ということがなくなる。
なるほど、なかなか便利かも知れない、と思った。

なるべく早いうちに遠近両用に慣れたほうが、歳とってから楽なのだそうだ。
歳が行って運動能力が落ちてから急に遠近両用眼鏡に替えると、足元の像のゆがみなどに順応するまで時間がかかるのだ。
階段など、危険でもある。

そういうわけで、遠近両用眼鏡(累進レンズというらしい)を作った。
両眼の距離やらなにやら設定に合わせる必要があるとかで、仕上がるまで1週間くらい掛かるそうだ。

さて、そこで「ものの見え方」について考えた。
車の運転中は、レンズの上のほうの遠距離用の部分で遠くを見る。
計器は中近距離用のレンズ中央部分で見ることになる。
手元の地図を見るような場合には、レンズの下のほうの近距離用の領域を使う。

このように、だいたい視線の動きに沿ってレンズに遠近それぞれの領域が確保されている。
これまで視野のどの領域でも同一焦点だったので、おそらく戸惑うだろう。
それにピントの合う領域で見るように、視線や頭を動かさなくてはならない場合もあるだろう。

つまり、これまで目の焦点調節能力でカバーしていた機能を、視線や頭を動かして対応せねばならないのだ。
戸惑うことと考え合わせて、「対象をハッキリ見る」までに要する時間が、これまでよりかかるかもしれない。

1秒足らずだろうが、目が良い人よりも「対象を見極める」までの時間が余分にかかるのだ。
クルマの運転などは、より気を抜かないようにしなくてはならない。

そこでふと考えたのは、目の良い人だって、瞬時にモノを見ているわけではないじゃないか、ということだ。
ヒトの視覚の主体は、目ではない。脳である。
目で捉えた映像は脳に送られ、脳で処理してから認識される。
その間、コンマ何秒かかかる。
動くものと動かないもの、白いものと黒いものなどの違いによって脳の処理速度が違うので、「同じ瞬間」に目で捉えた映像と、脳で処理後に視覚として認識したものとは異なるのだ。
このような時間差を利用した錯視の実験もいろいろある(ネット上にないか、そのうち探してみよう)。

もっと考えると、いま空に見えている太陽は、「現在」の姿ではない。
太陽の光が地球に来るまで、8分とちょっとかかるから、あの太陽は「8分過去の姿」である。
地球に居る限り、現在この瞬間の太陽の姿を見ることはできないのだ。
ひょっとすると、現在この瞬間、太陽が爆発してしまっているかもしれないが、人類がそれを知るのは8分後なのである。

「この瞬間」というものが確実に存在し、それを感じているのだと思うのは、思い違いである。
いま自分の感じている感覚が実在し、確かなものである、ということが錯覚なのは、いささか気持ちが悪い。
気持ちが悪いが、真実なのだ。

また、われわれはヒトの感覚・知覚しか(直接的には)知りえないが、もちろん、われわれの感じているこの世界が唯一の「感じ方」ではない。
虫の世界は、音に満ちている その1 (養老孟司先生のタケシくん虫日記):NBonline(日経ビジネス オンライン):」などで示されているとおり、生き物たちの感じている世界は、われわれの感じている世界よりも広いのだ。

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