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2007/08/31

記憶をデジタル化する

『日経サイエンス2007年10号』の「わかり始めた記憶の暗号」(J. Z. チェン)を読んだ。

マウスを使った実験により、脳の海馬内のニューロンの集合体が、ある出来事の一つの側面に対して反応することがわかった。
このニューロンの集合体を「ニューラル・クリーク」という。

例えば、マウスにとっての「エレベーターの落下」という出来事に対して、「びっくりする出来事」「動きの乱れ」「落下」という三つのクリークが反応する。
「地震」なら、「びっくりする出来事」「動きの乱れ」「揺れ」の三つだ。
そしてマウスがびっくり体験を思い出すとき、同じクリークが活性化する。

「エレベーターの落下」を「びっくりする出来事=オン」「動きの乱れ=オン」「落下=オン」「揺れ=オフ」、「地震」を「びっくりする出来事=オン」「動きの乱れ=オン」「落下=オフ」「揺れ=オン」というように2進数コードに表すことができる。
つまり記憶をデジタル化できるわけだ。

将来、ヒトの記憶をデジタル化して保存し、好きなときに追体験できるかも知れない。
だが、個人の記憶はとても重要な個人情報である。
流出したら怖いよね。

記憶だけでなく、感情や思考もデジタル化できるのだろうか? 

脳が、「エレベーターの落下」を「びっくりする出来事」ではなく「よくある楽しい出来事」に分類し直すようなことはあるのだろうか? 
あるとすれば、そのような分類のし直しが、感情や思考と関係するのではないだろうか?

だとすると、同じ記憶の記録から、異なる感情が再生されたりしないだろうか?

記憶だけではなく、感情も同時にデジタル化して保存しないと、正しく再生できない……ということがあるとすると、記憶コードはまさに、暗号鍵(感情)の種類によって異なる平文に復号されてしまう暗号のようだねぇ。

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2007/08/24

UFOを見た

先週のいつだったか(ちゃんと記録しないと駄目だね)UFOを見た。
あー、いや、ワシは「空飛ぶ円盤」とか「異星人の乗り物」を見たわけではない。
見た時点では不明だったので「未確認飛行物体」だが、後で調べたらISSだったのだ。

ISSがいつ見えるかは、次のサイトでわかる。

http://kibo.tksc.jaxa.jp/

http://kibo.tksc.jaxa.jp/tracking/index.html

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2007/08/23

洪積世パーク構想

『日経サイエンス2007年09号』の「洪積世パーク構想」(C.J.ドンラン)を読んだ。

学生時代、自然保護/環境保全についていろいろ考え、仲間と議論した。
その話題の中に、自然保護とは「人間が手を触れない」ようにすることなのか、それとも「現状を維持する(または、かつての状態に復元する)」ことなのか、というものがあった。

現在の日本の国立公園における「特別保護地区」は「人間が手を触れない」ことによって原生的な自然を維持しようというものだ。
ブナ林などのように極相(クライマックス)に至り、安定した生態系ならそれでもいい。
しかし、例えば湿原は、時間がたてば草原化し、森林になる。
このように「自然のままにおけば」変化してしまう場合、そのまま変化しておくに任せることが良いのだろうか、それとも、「湿原の状態を保つ」必要があるのだろうか。
もしも、「湿原の状態に保つ」ことが求められるのであれば、積極的な人間の関与が必要だ。

また、現在の日本の自然は本来の「自然な姿」ではない。
例えば、オオカミが欠けている。
シカやサル、クマやイノシシによる農作物への被害、人的な被害が発生する一つの原因は、日本の生態系の頂点に位置した大型肉食動物、オオカミの絶滅である(もちろん、山林の開発などにより生息地が奪われ、人里に出てこざるを得ない、というより大きな原因はあるが)。

「日本の本来の自然の姿」を取り戻すには、オオカミを復活させるしかないのではないか、なんていう議論を思い出した(オオカミの復活は、研究者を交えて真剣に検討されている)。

数千年前に北米では絶滅した大型動物……ラクダ、ゾウ、ライオン、チーターなどを絶滅が危惧されているアジアやアフリカから導入しようという「洪積世パーク構想」は、オオカミ復活プロジェクトと似ている。
かつての生態系を取り戻すために、積極的な環境保全策をとろうとするものだ。

おそらく、カギの一つは、ハイテク・フェンス(柵)だろうなぁ、と考えていて、「マクスウェルの悪魔フェンス」というものを考えた(マクスウェルの悪魔:気温の等しい二つの部屋のつなぎ口に居て、平均速度より遅い気体分子は通し、速い分子は通さない、という小さな悪魔。マクスウェルの熱力学に関する思考実験に登場する。この悪魔の働きの結果、一方の部屋の気温は下がり、一方の部屋の気温は上がる)。
管理区域をフェンスで囲み、要所要所に一方通行のゲートを設ける。
一方通行といっても、登山者や研究者は出入り自由だ。
ゲートに認識能力を持たせて、ヒトと他の動物を見分けさせるのである。

また、フェンスは電牧でんぼく(電気牧柵)のほうが良いだろう。
ただし、経験から言うと電牧は周囲の草木によって漏電するので、思うように効果が上がらないことも多い(牧場でアルバイトをしたことがあるのだ。一緒に働いたヤツは、電牧の見回りのとき、草を刈っていてフェンスに頭が触れ、ぶっ倒れかけた。ウシの逃亡を防ぐには、それくらいの高電圧が必要なのである。もちろん低電流だから、実害はないが)。
そこで、漏電したらその位置を通報するようなインテリジェントなフェンスが必要になる。
もちろん、電源は太陽電池だ。
かくして、テクノロジーが自然を守るのである。

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2007/08/21

夏の夜は怖い

こんには怖いものがたくさんある。

雷とか、花火とか、小学生とか、消防団の消防車とか……。

そのため8月に入ってから、夜の散歩ができなくなってしまった。
夕食後、散歩に誘うと、ひっくり返って腹を出し「降参」してしまうのである。

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2007/08/17

生命の代謝起源説

『日経サイエンス2007年09月号』の「生命の起源 RNAワールド以前の世界」(R. シャピロ)を読んだ。

最初の生命がどうやって誕生したのか、現在もよく解っていないが、大きく分けると次の二つの仮説がある。

「レプリケーター起源説」は、RNAのような巨大なレプリケーター(自己複製子)が偶然に形成され、「RNAワールド」と呼ぶ自己複製分子の世界を作ったと説明する。

「代謝起源説」は、小さな分子どうしの化学反応のネットワークが(膜のような境界の中で)進化したと説明する。

レプリケーター起源説の弱点は、RNAのような巨大な分子が偶然に形成される確率が低いことだ。
その点、代謝起源説に立てば、宇宙のどこでも生命の発生が起こりうるという。
ただし、そのような化学反応ネットワークを、人工的に作ることにはまだ誰も成功しておらず、仮説の域を出ない。

だが、代謝起源説に基づいて、あちらこちらの惑星や彗星の表面上で生命が発生しているとしたら、かなり面白いのではないかと思う。

例えば、草や木はおろか、バクテリアのような生物すら見つからない太陽系外の惑星が、酸素を豊富に含む大気に包まれていたとしよう(SFのアイデアのようなものである)。
地球の大気中の酸素は、光合成細菌や植物が、光合成上の結果生成した「廃棄物」である。
つまり、酸素を多く含むような大気は、生物の関与なしに形成されないと思われる。

だが、その惑星の岩石の表面などで、「前生物」的な化学反応ネットワークによって酸素が形成されたとしたら? 
そして、次の化学反応の段階、酸素を用いて有機物を酸化分解する過程が、有機物の不足によって止まっていたとしたら? 
その惑星を訪れた地球人は、いい餌食になってしまうのではないだろうか?(だからSFだってば)

さらに、そのメカニズムを知った地球人は、地球のバクテリアを用いて、「前生物」的な化学反応ネットワークのカギとなる物質を分解してしまうとしたら……。
バクテリアを解き放てば、その惑星の「前生物」的な化学反応ネットワークは破壊され、もとへ戻すことは出来ない。
これは惑星規模の殺戮になるのだろうか?(生まれる前の生命を殺すことは罪か?)

……なんだか、誰かが書いていそうな話だねぇ(地球人が他の惑星の生物進化を阻害したことに対する報復……というテーマのSFに小川一水の『時砂の王』などがある)。

ちなみに、地球外で生命が誕生する確率も、RNA起源説と代謝起源説では異なる。
生化学者モノーによると、

「宇宙は生命に満ちてもいないし、人類の生活圏でもない。私たちは、モンテカルロのカジノで大当たりするような偶然から生まれたのだ」

ということになるが、生物学者カウフマンによると、

「もしこれがすべて本当ならば、生命は思ったよりもずっと誕生しやすいものということになりそうだ。私たちは宇宙の中に住んでいるだけでなく、まだ見ぬ仲間とその住処を共有している可能性が高い」

ということになる。
どちらの考えが正しいのかは、宇宙へ出てみないと判らない。

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2007/08/14

『鋼の錬金術師』について

子供が書け書けとウルサイので、「科学的逍遙」に書き始めた

今後書こうと思っているのは、次のようなことだ。

登場する女性がみんな強いこと。
筋肉ムキムキの暑苦しい大男が多いこと(だがみんな脇役だ)。
シリアスな話の中にギャグが混ざってしまうというのは、これも手塚治虫や石森章太郎以来のSFマンガの伝統か。
やたら細かい書き込み(文字じゃなくて絵だから描き込み?)が多く、一度読んだだけでは気付かない伏線や遊びが多い。
主人公のエルリック兄弟が「誰も殺していない」こと。アクションもののマンガ(アメリカではR指定である)としては珍しいかも知れない(「敵を倒す」という表現を使っていても、結局は殺しだしねぇ。なんかこう書くと殺伐としているなぁ)。いや、一人殺しているか……作り損ねた人造人間(?)を。

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2007/08/12

こん2歳の誕生日

2007年8月12日、こんは2歳になった。 ヒトなら24歳に相当するそうだ(「イヌとヒトの年齢換算表」による)。 妙齢の女性の年齢だが、どうもこんはやんちゃ坊主のままのような気がする。

誕生日のプレゼントに、フランスパンをあげた。

P8123890

フランスパンといっても、犬用のおもちゃ、ぬいぐるみのようなものである。 押すとプープーと音がするので、最初のうちは怖がっていた。 しかしすぐに慣れ、自分で鳴らすようになった。

まぁ器用にプープーと鳴らすものである。

P8123891

風通しの良い窓際で、「フランスパン」を枕に寝てしまうこともある。

とても気に入っているようだが、すでに穴が開いている。 いくら気に入っていても、バラバラになってしまう日は遠くないだろう。

(参考)

Sketch1711676077891

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2007/08/08

「この瞬間」は存在するのか

近距離用の眼鏡が合わなくなってきた。
長らくPCのディスプレイに向かっていると、頭痛がしてくるのである。

そこで新しい眼鏡を作ることにして眼鏡屋へ出掛けたら、遠近両用を勧められた。
いやぁ、ついに来たか。

そもそも近距離用と遠距離用の二つの眼鏡を使い分けているのも、近視+老眼のため遠くも近くも見づらいからだ。
遠近両用ならば、会議のときに遠距離用を持って行かなくても済む(近距離用眼鏡では、プロジェクタの表示が見えないのだ)。
家でも、テレビの字幕が読めない、ということがなくなる。
なるほど、なかなか便利かも知れない、と思った。

なるべく早いうちに遠近両用に慣れたほうが、歳とってから楽なのだそうだ。
歳が行って運動能力が落ちてから急に遠近両用眼鏡に替えると、足元の像のゆがみなどに順応するまで時間がかかるのだ。
階段など、危険でもある。

そういうわけで、遠近両用眼鏡(累進レンズというらしい)を作った。
両眼の距離やらなにやら設定に合わせる必要があるとかで、仕上がるまで1週間くらい掛かるそうだ。

さて、そこで「ものの見え方」について考えた。
車の運転中は、レンズの上のほうの遠距離用の部分で遠くを見る。
計器は中近距離用のレンズ中央部分で見ることになる。
手元の地図を見るような場合には、レンズの下のほうの近距離用の領域を使う。

このように、だいたい視線の動きに沿ってレンズに遠近それぞれの領域が確保されている。
これまで視野のどの領域でも同一焦点だったので、おそらく戸惑うだろう。
それにピントの合う領域で見るように、視線や頭を動かさなくてはならない場合もあるだろう。

つまり、これまで目の焦点調節能力でカバーしていた機能を、視線や頭を動かして対応せねばならないのだ。
戸惑うことと考え合わせて、「対象をハッキリ見る」までに要する時間が、これまでよりかかるかもしれない。

1秒足らずだろうが、目が良い人よりも「対象を見極める」までの時間が余分にかかるのだ。
クルマの運転などは、より気を抜かないようにしなくてはならない。

そこでふと考えたのは、目の良い人だって、瞬時にモノを見ているわけではないじゃないか、ということだ。
ヒトの視覚の主体は、目ではない。脳である。
目で捉えた映像は脳に送られ、脳で処理してから認識される。
その間、コンマ何秒かかかる。
動くものと動かないもの、白いものと黒いものなどの違いによって脳の処理速度が違うので、「同じ瞬間」に目で捉えた映像と、脳で処理後に視覚として認識したものとは異なるのだ。
このような時間差を利用した錯視の実験もいろいろある(ネット上にないか、そのうち探してみよう)。

もっと考えると、いま空に見えている太陽は、「現在」の姿ではない。
太陽の光が地球に来るまで、8分とちょっとかかるから、あの太陽は「8分過去の姿」である。
地球に居る限り、現在この瞬間の太陽の姿を見ることはできないのだ。
ひょっとすると、現在この瞬間、太陽が爆発してしまっているかもしれないが、人類がそれを知るのは8分後なのである。

「この瞬間」というものが確実に存在し、それを感じているのだと思うのは、思い違いである。
いま自分の感じている感覚が実在し、確かなものである、ということが錯覚なのは、いささか気持ちが悪い。
気持ちが悪いが、真実なのだ。

また、われわれはヒトの感覚・知覚しか(直接的には)知りえないが、もちろん、われわれの感じているこの世界が唯一の「感じ方」ではない。
虫の世界は、音に満ちている その1 (養老孟司先生のタケシくん虫日記):NBonline(日経ビジネス オンライン):」などで示されているとおり、生き物たちの感じている世界は、われわれの感じている世界よりも広いのだ。

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2007/08/01

『暗号解読(上)』を読んだ

サイモン・シンの『フェルマーの最終定理』に続けて、『暗号解読』を読んだ。
……と言ってもまだ上巻だが。

上巻では、カエサル暗号からドイツのエニグマ暗号機までの暗号制作者と暗号解読者の闘いを描いている。

読んでいて気付いたことだが、復号化、つまり暗号化の逆の過程で暗号文からもとの文章(平文)を復元することと、暗号の解読、つまりどうやって暗号化したのかを突き止めて平文に戻すことは、まったく別のことなのだよね。

暗号化・復号化は「ルールを知っていてやっている」ことだが、暗号解読は、その「ルールを探る」ことなのだから。


(追記:2007年8月6日に読了)

スコットランド女王メアリーの暗号の一件が教えているのは、「弱い暗号を使うくらいなら、最初から暗号など使わない方がましだ」ということだ。メアリーとバビントンが計画のことをあからさまに書いてしまったのは、通信文の安全性を信じ切っていたからだった。(93~94ページ)

より強い暗号が考え出されては、天才的な暗号解読者がその暗号を破る。
16世紀に考え出された「解読不能の暗号」ヴィジュネル暗号は、19世紀の科学者、チャールズ・バベッジによって破られた。
スチームパンク・コンピュータの階差機関(ディファレンシャル・エンジン)を開発した、あのバベッジである。
ただ、バベッジは暗号の解読にしろ階差機関にしろ解析機関にしろ、完成させることがなかった。
ヴィジュネル暗号については、解読できたことに満足して、その解読法を公表しなかった。
階差機関についてはよく知られているように、途中で設計を変えて「改良」するために開発費がかさみ、政府の資金援助を打ち切られてしまう。
そのときのバベッジの愚痴が面白い。

「イギリス人に原理や装置を提案したまえ。それがどれほど優れたものであっても、連中は全精力を傾けて、問題点や、欠点や、その装置にはできないことを探し出そうとするだろう。ジャガイモの皮をむく装置をイギリス人に提案してみたまえ。連中は、そんなことは不可能だと言うだろう。目の前でジャガイモの皮をむいて見せたとしたまえ。連中は、パイナップルをスライスできないのだから、そんな道具は役に立たないと断言するだろう」(133~134ページ)

……なんとなく、映画『銀河ヒッチハイク・ガイド』のヴォゴン人の姿が頭に浮かんでくるなぁ。

20世紀、暗号は戦争の重要な道具となる。
イギリスでは数学者や言語学者、焼き物の名人、元プラハ美術館の学芸員、全英チェス大会のチャンピオン、トランプのブリッジの名人などを集めて暗号解読専門機関を作ったそうだ。
彼らは戦争を早く終わらせるという重要な仕事をしたにもかかわらず、戦時中はもちろん、戦後も長らくその業績が公表されることが無かった。

例えば、ドイツのエニグマ暗号をイギリスが解読できる、ということを隠しておくことが、イギリスにとって都合の良いことだったからだ。
国家の論理というものは、なんと冷酷で残酷なことか。
万能コンピュータ「チューリング・マシン」の考案者であるアラン・チューリングもエニグマ暗号の解読にかかわり、その結果、戦後自殺に追い込まれたのだった。

下巻では、映画『ウインドトーカーズ』のモデルとなったナヴァホ族の暗号通信兵「ナヴァホ・コードトーカー」の話から、ヒエログリフや線文字Bの解読へと話が進む。
わざと「隠された文書」でなくとも、「読み方の解らない言語による文書」の解読にも、暗号解読と同じ手法が使われるからだ。

そして第二次大戦後、暗号化と暗号解読にコンピュータが用いられるようになる。

現在、PGPやSSLなど、インターネットで広く用いられている公開鍵方式についても、平易に解説されている。
これまでいろいろな本やサイトで、公開鍵方式の説明を読んだ。
読んだ直後は解ったような気になるのだが、ちょっと経つと人に説明できなくなる。

本書の解説は、そもそも「鍵問題」とは何か、そしてその問題を解決するためにはどのような苦闘があったのか、というところから説き起こしているため、非常に解りやすい。
こうした人間的な「ドラマ」が描かれていることにより、「理論」や「技術」に人間味が感じられるところが、本書の魅力の一つだ。

情報化社会の現在、PGP(プリティ・グッド・プライバシー)を例に挙げて、「法と秩序を守るためには、一般市民が暗号を使うことを制限すべきだ」とする政府(アメリカ政府)と暗号を普及させて「自由な言論」を守ろうとする市民や研究者との対立があることが示される。
たしかに、インターネットと暗号により、テロリストや犯罪組織は国家や警察よりも有利になるかも知れない。

とりわけ、もっとも暗号の恩恵を受けると考えられている〝情報黙示録の四騎士(麻薬の売人、組織犯罪、テロリスト、小児性愛者)〟の暗躍が懸念けねんされている。(205ページ)

だからといって、国家権力だけが暗号を使用し、通信を盗聴できるような状況が「正しいこと」とは思えない。
だいたい、国家権力以外の「暗号の使用を制限する」なんていうことはナンセンスだと思う。
どんなに禁止しても、誰かが優れた暗号を考え出し、それをインターネットなどで公開することを止めることはできないだろう。

そうであるなら、知識を共有し、危険性を認識し、対策を皆で考えていくしかないのではないか?

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