編者が「植物の軸と情報」特定領域研究班であるから、発生学・形態学・生理学的な見地から「植物って、こんな生き方をしているのです」という解説である。
ワシはどうしても「生存戦略」というと、生態学的な競争とか、進化論的な変化(というか、進化そのものだね)のほうを考えてしまう。
つまり「なんでそうするの(したの)?」という問いだが、本書ではどちらかというと、もっと根本的な、「どうしてこうなるの?」という問いについての答えである。
いや、「答え」というと語弊がある。
科学では、一つの「答え」が新たな多くの「問い」を生む。
だから、「答え」というより、「いまはここまで判ったよ」という「報告」である。
さて、その「問い」は、というと、次の10題である。
1章 植物と動物 → 植物と動物の生き方、体のつくりはどこが違うのか?
2章 葉の形を決めるもの → なぜいろいろな形の葉があるのか?
3章 花を咲かせる仕組み → 「花咲爺さん物質」はあるのか?
4章 遺伝子の働きによる花の形づくり → さまざまな花のつくりを決める仕組みがあるのか?
5章 受精のメカニズムをとらえた! → 花粉管はどうやって胚珠に辿り着くのか?
6章 根 → 根はどうして下に伸びるのか?
7章 根における共生のいとなみ → なぜ根粒ができるのか?
8章 4億年の歴史をもつ維管束 → 植物の「水道管」はどうやってできるのか?
9章 成長をつづけるためのしたたかな戦略 → テッペンの芽を摘むと脇の芽が伸びるのはなぜか?
10章 「第2の緑の革命」に向けて → ミラクルライス「IR8」を生み出した遺伝子とは?
エボ・デボ
ワシが生態学的な視点で植物を見るのは、生態学的な手法がアマチュアには最適だからだ(アマチュアには金も時間も道具もない。あるのは好奇心だけ?)。
それに対して、本書の著者たちのようなプロの研究者は、特殊な顕微鏡を使ったり、微量の物質を分離・精製したり、細胞を培養したり、遺伝子に印を付けたりできる。
現代の最先端の発生学的・生理学的な研究には、それなりの実験設備が必須なのだ。
その最たるものがエボ・デボだろう。
(前略)このような、生物の体の形の違いがどのような進化を経てできてきたのかという問題は、昔から多くの生物学者を魅了してきました。それを明らかにするために、生物種の間で形態や発生を比較する研究が古くから進められてきたのは、ご承知の通りです。
それに関しては近年、新たな研究手法が脚光を浴びています。生物の形態形成や発生の仕組みを遺伝子のレベルで比較し、それによって進化の仕組みを明らかにしようとする研究です。これは「Evolutionary Developmental Biology(進化発生学)」、略して「エボ・デボ」と呼ばれる研究分野です。(49ページ)
双子葉類でも単子葉類でもない被子植物
分子レベルの研究によって、マクロな生物の形態や生態の「秘密」が明らかになってきた。
中学の理科では、陸上の植物を次のように分類する。
コケ植物 |
シダ植物 |
種子植物 |
裸子植物 |
被子植物 |
双子葉類 |
単子葉類 |
つまり、花が咲いて種子で殖える植物(種子植物)は裸子植物(種子がむき出し)と被子植物(種子は果実の中にある)に分かれ、被子植物は単子葉類と双子葉類に分かれる、と中学では習う。
そして、次のように習ったはずだ。
- 単子葉類は、子葉が1枚、葉脈が平行脈、根はひげ根、花びらはないか、あるいは枚数が3の倍数であることが多い。イネ、アヤメ、ユリ、ランなど。
- 双子葉類は、子葉が2枚、葉脈は網状脈、根は主根と側根、花びらの枚数は4または5の倍数であることが多い。サクラ、エンドウ、アブラナ、ヒマワリなど。
こうやって習うと、なんとなく、見慣れたキレイな花を咲かせる双子葉類が「植物の進化の頂点」であるかのように思ってしまう。
ところが、高校・大学と植物の勉強を深め、観察技術や経験を積んで行くと、疑問が芽生えてくるのだ。
「木よりも草のほうが、ニッチな環境に適応している。……ということは、草という形態しかない単子葉類のほうが、木という形態の多い双子葉類より進化しているのではないか?」
「モクレンの花は、他の双子葉類の花と比べると違いがありすぎる。双子葉類というグループに入れてしまってよいのだろうか?」
だが、こうした疑問に答えるには、光学顕微鏡レベルの観察手段や博物学的な形態・生態観察では不足である。
DNA やタンパク質などの分子レベルの解析によって、植物の類縁関係(というより、過去のどの段階で異なる系統に枝分かれしてきたか、という分岐関係)が見直されつつある。
本書の75ページの系統樹を見たときには驚いた。
イネやキクの仲間が現れるまでの道のりに、なんと分かれ道が多いことか。
もっとも、中学の教科書が書き換えられるのは、まだまだ先のことだろう。