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2006/11/27

ニホンカモシカを数えに行った

定点観察ポイントにて

毎年恒例、足尾のニホンカモシカの頭数調査に行った。
大学時代の仲間と行っているのだが、このところ成績が悪い。
今回も0頭であった。

見たものといえば、ニホンザルとニホンジカとイヌワシとハヤブサとノスリとトビとマヒワとヒガラとシジュウカラとウソ、くらいかな(クマに遭わなくてよかった)。
観察をはじめた四半世紀前と比べると、サルとシカが増えたように思うが、それとカモシカが減ったこととの関連は判らない。
フィールドでの観察では、何が原因で何が結果なのか、見極めるのが難しいのだ。

食物で競合するシカが増えたことが原因で、カモシカが減ったのか。
カモシカが減る原因が別にあって、結果的にシカが増えたのか。

現実としては、今年は1頭のカモシカを見ることもなく調査は終わった。
年を追うごとに言うことを聞かなくなる肉体を酷使して岩だらけの尾根を上り下りするために行ったようなものであった。
もちろん、星空の下で焚き火を囲んで酒を飲むため、という理由も否定できないが。

(この記事に加筆して、科学的逍遙の日誌/2006-11-24および日誌/2006-11-25に掲載した)

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2006/11/21

朝焼け

朝焼け

毎日日の出が遅くなる時期だというのに、こんの起床時間が早くなった。
ウチを出る頃にはまだ暗い。
ただ、早起きして散歩をすると、それなりの「得」がある。
今朝は素晴らしい朝焼けを見た。

刻々と色を変えていく朝焼けを眺めながら考えたのは、「ニュートンがプリズムで謎を解いたために、虹の神秘性が失われた」というような主張の虚しさだ。
ワシは、朝焼けの雲が染まる仕組みを知っているが、その知識は朝焼けの素晴らしさをなんら損なうものではない。
むしろ、刻々と変化していくその理由を知っていることで、自分が惑星地球の表面に立ち、地球上のすべての生き物とともに宇宙を旅していることを実感することができるのだ。

科学の進歩を拒む人の気持ちがよく判らない。
自分に都合の良い神話だけを人々に押し付けたいのだろうか? などと勘ぐりたくなることがある。

(この記事に加筆して、PukiWiki版 科学的逍遙に掲載した)

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2006/11/20

楽園の泉

先週土曜日に上のムスメとCD屋兼本屋へ行ったとき、アーサー・C・クラークの『楽園の泉』がハヤカワ文庫で再版されているのを見つけた。
レムの『砂漠の惑星』もそうだが、古いSFを大きな活字で読めるのは嬉しい。
『楽園の泉』も最初は単行本で買ったのだが、本の置き場に困って古本屋に売ってしまい、そのうち文庫本を買って再読したいと思っていたの、非常に嬉しい。

……というわけで、土日で読了。

「巨匠最後の三部作」と銘打って、『楽園の泉』『宇宙のランデブー』『地球帝国』が相次いで刊行されたのは、もう30年ほど前のことになる。
したがって、クラークの描く近未来世界のテクノロジーの「前提条件」も大きく変わってしまった。
21世紀後半、地球で最初の宇宙エレベーターが建設されるまでを描いた『楽園の泉』に限って見てみよう。

宇宙エレベーターのケーブルは無重量の環境で製造される「擬似ダイアモンド」で作られることになっている。
いまなら、宇宙エレベーターのケーブルの素材として、カーボンナノチューブが使われるだろう。
カーボンナノチューブを使えば、現在の技術でも宇宙エレベーターを建設することが可能らしい(詳しくは巻末の解説を参照のこと)。

地球規模のネットワークが実現していて、気になるニュースをキーワードで拾い出す、というサービスが登場する。
これは、21世紀後半を待つまでもなく、現在でも実現してしまっている。
クラークは、ネット上で個人を特定して連絡をつける(グリーティングカードを送ったりする)というエピソードを描いているが、これはむしろ難しいことになってしまった。
ネット上のプライバシーやセキュリティ、スパムやウイルスがこれほどの問題になることは、家庭のコンピュータの大部分がスタンドアロン(ネットワークされていない)ものであった時代には、想像できないことだった。

例によって、クラークの世界は平和である。
世界連邦が実現していて、地域紛争もないようだ。
「テロとの戦い」や「核の拡散との戦い」や「軍事力の拡大」が21世紀に入っても続いていることは、なんとなく情けない。

クラークの描く楽園のような未来を手に入れることは難しいだろう。
しかし、せめて、ワシが生きているうちに、静止軌道へと伸びる塔や地球の赤道をとりまくリングを見上げ、そしてそこから地球を見下ろすことができないものだろうか。

(この記事に手を加えて……ないなぁ、ほとんど。とにかく、PukiWiki版 科学的逍遙に掲載した)

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2006/11/06

ナイチンゲールの沈黙

科学的逍遙に書いた『ナイチンゲールの沈黙』の書評(というか感想文)に付け加えるべきこと(というか書き忘れたこと)。

ハイパーマン・バッカスという特撮ヒーローものの話。
今回、小児愚痴外来(入院している子供たちが相手だから外来じゃないだろ、というツッコミはアリ?)まで担当させられた田口講師が解説本を買って勉強していた。
バッカスは酔っ払わなければ変身できないという、とんでもないヒーローである。
酔っ払ってゲロ吐いたりするもんだから、地球に侵略してきた異星人、シトロン星人に説教されたりするのである。
でもって、介抱しているシトロン星人を倒してしまったりするのだ。
よくまぁ、こういう設定の劇中劇、というかお話の中のお話を考えるなぁ。
『のだめカンタービレ』の中の「プリリンごろ太」みたいだねぇ。

加納警視正を演じたらよさそうな俳優は……なぜかトミー・リー・ジョーンズがアタマに浮かんだ。
黒ずくめの服装、ということで、MIBのイメージがあるからかなぁ。
背中に子供たちが書いた「シトロン星人」という紙を付けていたりするしなぁ。
日本人が演じるなら、やっぱり八嶋智人演じる白鳥調査官にぶつけて、柳葉敏郎だろうか。

(この記事に手を加えて、PukiWiki版 科学的逍遙に掲載した)

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履修漏れ問題

「履修逃れ問題」といったほうがいいかも。
でも、本質的な問題は、「大切なので必修科目」となっている世界史などを「学ばなくてもよい」と判断してしまったことだ。
「ゆとり教育」の弊害で、中学卒業までの理社の内容はかなり削られている。
そこへもってきて、高校で必須科目すら教わらないのでは、非常識な大学生の大量生産と言われても仕方あるまい。

立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」 第89回 東大生にも蔓延!履修漏れ問題 「ゆとり教育」が国を滅ぼす

ヘタをすると、今の大学生は「進化」も「銀河系」も「十字軍」も習ったことがないのである。

もちろん、学校で教わればいい、というもんでもない。
授業の中身というヤツも大いに問題で、実際、教壇に立っていたときにはどうやって記憶の片隅にでも知識をとどめてもらおうかと、いろいろ考えた。
スライドやビデオなどの視聴覚教材を使ったり、実験をしたり、実物を教室に持ち込んだり、クイズにしたり……。

やる気のある現場の教師は、あれこれ知恵を絞っているはずだ。
したがって、まったく知らないのと、授業でやったかも知れないと思うのとでは、格段の差があるだろう。

大学入試に「一般教養」というヤツを追加してはどうだろうか?

(この記事に加筆して、科学的逍遙の日誌/2006-11-06に掲載した)

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2006/11/04

「本」についてのメモ

MSDN Library で Web オーサリング ツールを調べていたら、「UI 設計の 5 世紀」という記事があった。

その中から引用。

「何時間使っても疲れない自然なユーザー インターフェイスを持つアプリケーションを設計しました。実のところ、あまりにも透過性に優れているため、ユーザーの意識から『消えます』。まるでユーザー自身の脳の一部のようで、アプリケーションを使っていることさえ忘れてしまうほどです」

まるで UI 設計における聖杯のようじゃありませんか?私たちを仮想現実世界へと導く、あくまでも空想上の未来像だとお思いでしょうか。そう思っているとしたら、それは間違いです!私たちはみんな、これくらい自然な UI をほとんど毎日のように使っています。私たちはそれを「本」と呼んでいます。

……なんだか、まったく同じようなことを、昔(10年位前)アシモフの科学エッセイで読んだような気がする。

J.ローゼンバーグの「デジタル文書をどのように残すか」(『日経サイエンス』1995年3月号)では、デジタル文書はアナログ文書よりも寿命が短いのではないか、という指摘があった。
「古い」デジタル文書は適切なタイミングで変換しなければ、事実上消滅してしまうからね。
もはや、昔々(20年位前)EPSON HC-88 や OASYS で作成した文書なんて、読みようがないもんね。

それにしても何だな。
このマイクロソフトの記事、著者は「ビル ヒル」と記名されているが、いつ書かれたものか判らない。
折角面白いことが書いてあるのに、資料的価値がないじゃん。

(この記事に手を加えて、PukiWiki版 科学的逍遙に掲載した)

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