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2006/04/05

『コラプシウム』を読んだ

雨が降ると草木が勢いづく。
タラノキは、その芽を食べるにはもうちょっとなので、テンプラは週末までお預け。
ついでに、カキの新緑やミツバやギョウジャニンニクもテンプラにすると良いかもと思ったが、ミツバとギョウジャニンニクは、こんの用足し場所に近いので、ちとためらう。

さて、先週末にウィル・マッカーシイの『コラプシウム』(ハヤカワ文庫SF)を読んだ。
表紙のイラストが萌えキャラなので、ウチのムスメどもに「オタクっぽーい」と言われてしまったが、中身はハードSF+スペースオペラだ。
表紙に萌えキャラとして描かれているのは、脇役の一人で、十歳そこそこのソル女王国(太陽系)捜査局長。
本当は(?)中年女性なのだが、事故死したときに最新の人体・人格パターンがバックアップされていなかったので、子供の頃の人体と人格を再生し、そこに故人の捜査メモ(随時記録されていた思考パターン)をダウンロードしたのだそうだ。

このような、人体・人格の再生や転送(「どこでもドア」みたいなテレポーテーション装置「ファクシミリ」が出てくる)ができる時代に起こる、ブラックホールを用いた超高速通信装置がらみの事件を、それらの装置の発明者の天才重力工学者が解決する、という話だ。
もちろん、タイトルの「コラプシウム」は重力による縮退と元素を組み合わせた造語だ。
その他、どんな物質でもエミュレートできる「ウェルストーン」とか、とにかくたくさんのガジェットが出てくる。
あまりの用語の氾濫に、たびたび巻末の用語集や技術資料を参照しないと、話について行けなくなる。
時代設定といい、ガジェットの数々といい、ラリー・ニーブンの「ノウンスペース」シリーズを思い浮かべたが、主人公が重力工学の専門家であることからすると、チャールズ・シェフィールドの『マッカンドリュー航宙記』とか『プロテウスの啓示』と似ている気がした。

それにしても気になるのは、「ファックス」することでコピーを作ったり、そのコピーが別々の行動をとった後で、もう一度「ファックス」して再統合したり、というあたり。
人体や人格を情報として保存する、という話は、アーサー・C・クラークの『都市と星』やらグレッグ・ベアの『永劫』やら、かなり以前からあるアイデアだ。
情報として保存できれば、転送も再生も自由自在……というのはいいのだけれど、経験や記憶の統合ってできるのだろうか?
考えてみれば、ワシらの体を構成している原子は日々入れ替わっているので、人格のパターンが移植できるものなら、「コピー」は「オリジナル」と何ら変わりがない。
しかし、コピーとして別の環境で生活を始めたら、人格のパターンはオリジナルとは段々違って行くのではないか?
昨年のワシと今年のワシだって、同じ季節に同じものを見て、感じることが違うのだから。
ヒトは、一貫した記憶を持つから、「自分」という認識ができるのだという。
とちゅうで記憶が枝分かれしちゃったら、再統合したとき、多重人格になっちゃうのではないだろうか?
……まぁ、誰でも多かれ少なかれ多重人格なのだから、問題ないだろうという考え方もある(例えば、夢の記憶は、別人格の記憶かも知れない)。
でも、数百人もコピーを作っちゃったら、再統合しないほうがよいだろうなぁ。

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