携帯電話の進化と退化について考える
最近頻繁に目にし耳にする「進化」という言葉、生物学的に正確に使われているほうが少ないように思う。
一般には「進歩する」「高機能化する」というように使われているようだ。
しかし生物学的には、生物が環境に適応することで「変化」してきたこと、変化していくことを「進化」という。
生物学的な「進化」には、「進歩」や「高機能」などの肯定的なニュアンスは一切ない。
例えば、一般的に用いられる「進化」の著しい例として、携帯電話が挙げられる。
もはや本来の「電話」の機能だけでなく、メール、Web閲覧、写真撮影、動画撮影、音楽再生、そしてデジタル放送の受信と、多機能化・高機能化している。
だが、本来の意味での「進化」と言えるかというと、いささか疑わしい。
環境に適応している、と言えるのだろうか?
ということで、ちょっと考えてみたのだが、携帯電話は(生物ではないが)進化している、と言えるのかも知れない。
例えば、カシオの「G'sOne TYPE-R」は「防水・防塵・耐衝撃」という新たな環境への適応を図ったものだ。
また、「ツーカーS」は高齢者の利用、通話専用という環境に特化したものだ。
「ツーカーS」は言わば「退化した携帯電話」だが、ちゃんと生き残っている。
「退化」というのは「進化」の対立概念ではなく、「進化」の一つの側面(というか、変化の一部)なのである。
ほら、アナタのシッポも盲腸も、退化しているじゃない。
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