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2005/10/31

ハーブ犬

ラベンダーをかじる、こんどういうわけか、こんはハーブが好きだ。
ローズマリーの茂みにもぐり込み、ラベンダーの茎をかじる。
歯磨きのつもりなのだろうか。
しばらくの間、こんは犬の匂いではなく、ハーブの香りになる。
なにしろ、クリーピングタイムの上に寝そべったり、ローズゼラニウムの枯葉を掘り返したりと忙しいのだ。
もちろん、ジャパニーズ・ハーブ、というか日本産香味植物も好きで、ミョウガの芽を掘ったり、ミツバの枯れ枝を噛み砕いたりしている。

 

そのほか、タラノキの葉柄(ようへい)、ビワの枯れ枝、コブナグサの穂を噛むのも好きだ。
……ということで、別にハーブでなくてもよいようだ。
犬というものは、特定の匂い……動物系の匂い?……には敏感だが、そのほかの匂いには鈍感なのかも知れない。
……こんが暴れまわったおかげで、丹精してきた(というほどでもない)庭が、踏み荒らされ掘り返され押し倒され、少し広くなった。

 

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生物季節

ジョウビタキ(♀)初見
(静岡県駿東郡長泉町)

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2005/10/24

早起きの日々

日曜の朝、庭のこんこんがウチに来てから、早起きを強要されている。
久々の休日も、6時起きだ。
庭へ出ると、まだ隣家の影に入っていて日光が当たらず、寒かった。
見上げると、昨夜昇ってくるのを見た下弦の(下弦に近い)月が、まだ空高くに懸かっていた。
まぁ、早朝外へ連れ出されるのも悪くはない。
この日(10/23)はウチの上空をチョウゲンボウが飛んで行くのを見た。

 

さて、この写真の後、こんは病院に連れて行かれた。
第1回のワクチン接種などのためで、この注射を済まさないと散歩に行けないからだ。
生後15週くらいまでの間に散歩デビューして、近所の人たちや犬たちへの挨拶を通して「社会化」しないと、臆病かつ乱暴な、社会性のない犬になってしまう。
文字通りの「ドッグイヤー」を生きているので、トレーニングに最適な時期を逃さないようにしなければならないのだ。

 

病院への行き帰りでは、すっかり車に酔ってしまった。
こっちの訓練もしなくてはならない。
その他、トイレットトレーニングやら、「分離不安」に陥らないためのトレーニングやら、散歩のトレーニングやら、トレーニングすることがいっぱいあって大変だ(お互いに)。
動物心理学(の犬に関する部分)を勉強し直しだな、こりゃ。

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2005/10/18

家族が増えた

こん16日の日曜日、柴犬の女の子をもらってきた。
8月12日生まれのはずだが、ちょっと大きい。
同時に生まれた兄弟の中でも、大きいほうだった。

 

家族で話し合って、名前は「こん」と決まった。
体色が黄色っぽくて、顔の長いキツネ顔で、しっぽの先が白いため、キツネっぽいからだ(キツネと違って、足先は白いけどね)。
子供たちが大好きだった(今も好きだけど)林明子さんの絵本、『こんとあき』の「こん」のイメージも皆の頭に浮かんだらしい。

 

我が家へ着てから今日で三日目だが、まぁ、やんちゃで頑固で、大変手がかかる。
子犬の世話は子供たちには難しいようだ。
おかげでカミさんともども寝不足で、会社の研修中に睡魔に襲われて困る。
オマケに、ふと足元を何か(って「こん」だが)が横切ったような気がして我に返る始末。
……先が思いやられる。

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2005/10/16

微生物「ハテナ」のハテナ?

2005年10月14日の朝日新聞(asahi.com)の記事
不思議な微生物、藻食べて植物に大変身 名は「ハテナ」
などで、藻類を食べてその藻類と共生し、光合成を行う鞭毛虫(べんもうちゅう)類発見のニュースが報じられた。
鞭毛虫というのは、1本ないし数本の長い毛(鞭毛)をもち、それを鞭(むち)のようにしなわせて水中を進む単細胞生物だ。
中学や高校の教科書に載っている、「ミドリムシ」とか「ボルボックス」といった単細胞生物を思い浮かべてもらえばよいだろう。
そして、その単細胞生物は、「ハテナ」と名づけられたという。

じつは、藻類と共生する単細胞生物というのは、ハテナだけではない。
その辺の田んぼや池の水の中にも、「ミドリゾウリムシ」という、藻類を何個も取り込んで光合成している単細胞生物が居る。
ハテナの発見が画期的なのは、二つに分裂して増殖するとき、一方の細胞には藻類が残り、もう一方の細胞には藻類が無くなってしまうことだ。
藻類がないほうの細胞は、ふたたび藻類を取り込んで、緑色になるという。
つまり、ハテナとその体内の藻類は、完全な共生状態にあるというのではなく、共生への過程にあるのだろう。

緑色植物は、動物細胞が取り込んだ藻類と共生を始めたことが起源だという仮説がある(リン・マーギュリスの「共生説」)。
ハテナはその仮説を強力に支持する実例なのだ。
このようにして動物細胞に取り込まれた藻類が、緑色植物の葉緑体に変化したのだろう。
さて、共生説で示されているのは、植物のほうが動物よりも「進化している」という事実だ。
ときどき、地球上の生命体全体で考えると、動物という生物は植物や菌類・細菌類に比べて「能無し」だなぁ、と思うことがある。
植物や菌類・細菌類のやっていること(光合成とか窒素固定とか)は動物にはできないが、動物のやっていること(高分子の有機物を低分子の有機物に分解すること)は、植物や菌類・細菌類もやっているからね。

さてさて、中学・高校の理科教育が悪いのかもしれないが、植物と動物の境界線がかように「あいまい」であることは、あまり知られていないようだ。
だが、ミドリムシを見れば判るとおり、植物と動物の境界線は、「ない」。
単に、系統樹の先っぽのほう、例えばサクラとイヌを比べると、まったく異なっているというだけだ。
つまり時間をかけて異なるものに進化して行ったものも居る、というだけのことなのである。

それにしても、今回の報道の中には、誤った進化観が露呈されたものもあった。

仮に「ハテナ」と命名されたこの微生物は、植物への進化過程にあり、数千万年後には完全な藻類になる見込みだという。  [時事通信社 2005/10/14 03:10]

おーい。
ハテナが数千万年後に藻類になるなんて、誰が言った?
おそらく、地球の生物進化の歴史の中で、ハテナのような生物から植物が誕生するまで、数千万年かかったのだろうね、という話を研究者がしていたのではないか?
数千万年後、ハテナは今と同じ暮らしをしているかも知れないし、やっぱり藻類とは縁を切って、動物として生きているかも知れない。
生物の進化とは、「結果」がすべてであり、同じことが再び起こるとは「絶対に」言えないのだ。

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2005/10/15

秋の蝶

秋になり、数は減ったものの、まだチョウが舞う姿を見かける。
ランタナで蜜を吸うクロアゲハの姿など、そろそろこれが最後かな、と思う。
……今年もブッドレアを手に入れられなかった。
夏から秋まで紫色の花を咲かせる蜜源植物として、バタフライ・ガーデンには欠かせないのだが。

さて昨日、昼休みの散歩中、踏み切りで列車の通過を待っているときに、イヌビユのまわりを飛ぶシジミチョウを見た。
はて、ヒユを食草にするシジミチョウなんて居たっけ?
その場で、携帯電話を使って自分のサイトで調べてみた(i-mode版【科学的逍遙】食草からチョウを調べる )。

ヒユ科のイヌビユを食草とするシジミチョウ科のチョウは、……ハマヤマトシジミ。
いや、ちょっと待て。
ハマヤマトシジミは、沖縄本島以南でしか見られないはず。
たまたま、食草のカタバミを探していたふつうのヤマトシジミが、イヌビユのまわりを飛んでいたのだろうか。
残念ながら、数m離れたJRの敷地内だったので、写真はない。

その後、ウラギンシジミを見かけて写真を撮ろうと思ったのだが、携帯電話を取り出したら逃げられた。
外装が銀色なので、チョウを撮るには向かないのだ。

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2005/10/09

巨大な「つるし雲」

巨大な「つるし雲」昨日の午後、静岡県駿東郡清水町の柿田川に程近いショッピングモールの駐車場から、巨大な「つるし雲」が見えた。
このあと、低い雲が広がって見えなくなってしまったが、富士山を北に望むウチの近辺では、よくこういう雲をよく目にする。

「つるし雲」は、山にぶつかった湿った空気が雲になったものだが、雲の下には、山はない。
山に雲がかぶさったように見える「笠雲」とは、そこが違う。

じつは、この写真には(雲に隠れて)写っていないのだが、富士山は写真の左端付近にあるのだ。
富士山の風下側(この場合は東側)にできた「つるし雲」は巨大で、しばらくその場にとどまっているように見える。
だが、よく見ると、雲は風下側で消えている。
消えた分、風上側で新たに発生して付け加わっていくので、同じ形を維持しているように見えるのだ。

「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。」 鴨長明『方丈記』

雲にしろ生物体にしろ、もとの形を保っているように見えても、構成要素(雲粒や分子)は常に入れ替わっているのだ。

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2005/10/02

林冠の不思議

林冠を見上げる上から(というかまぁ風景として)眺めると、林冠つまり樹冠の集まりは、切れ目なくつながっているように見える。
しかし、林の中から見ると、写真のように、一本一本の木ごとに、すき間が開いている。
このすき間はどうして開くのだろうと考えてみたのだが、どうも判らない。ボロノイ分割とか、考えてみたのだけどね。
ちなみにこの写真は、会社の研修所の近くのシイ・タブ林で、携帯で撮ったものだ。二日酔いのアルコールを抜きながらの散歩だったので辛かった。

(追記)2005/10/08 本家サイト【科学的逍遙】に関連する記事「城ヶ崎自然研究路宿酔散歩」を書いた。

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