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2005/08/18

人類の文化の起源

テレビでも新聞記事でも、「進化したナントカ」とか「進化を続ける誰それ」とかいった、誤った表現がされている、ということについては、これまでも何度も書いてきた。
もちろん、生物学的な「進化」であるわけがなく、「変化」とか「進歩」とか言うべきところを間違えているのだ。

さて先日、国立科学博物館で「縄文vs弥生」という企画展を見た。
内容的には、これまであちこちの博物館で見てきて知っていることばかりだったが、土器や人骨のホンモノがゴロゴロしていて、触れるところは、ちょっと面白かった。
刀傷を負ったり骨を折ったり癌にかかったりした縄文人の骨があったりした。
怪我や病気でも、けっこう生き延びたということは、互いに面倒を見合うような文化があったのだろう。

そりゃそうだ。
数千年前の人間だからといって、アタマの中身は現代人とそれほど違うわけではない。
「進化」という点からすると、ほとんど同じと言ってよいだろう(もちろん現代人のほうが「進歩」しているとは言い難い)。
そもそも、数万年前にホモ・サピエンスが現われてから現代まで、脳が大きく変化するような要因は考えられないので、原初のホモ・サピエンスにできなかったことは、現代のわれわれにもできないはずだ。
逆に言うと、コンピュータを作ったりプログラムを書いたりする能力が、原初のホモ・サピエンスにもあったと言えるのだ。
その能力が、象徴表現だ。
象徴(表象)を使うことで、美術や音楽、工芸、文化が成り立つ。
コンピュータも惑星間飛翔体も、その延長線上にあるに過ぎない。

さてさて、その象徴表現の起源がいつごろであるのか、という記事が「日経サイエンス」2005年9月号に載っていた(「人類の文化の夜明け 早かった象徴表現の起源」)。
2万8千年前の壁画、7万5千年前の貝殻ビーズ、13万年前の線刻のある石……。
ホモ・サピエンスの起源は19万5千年前に遡る可能性があるという。
ワシらの思考能力は、そのころから「進化していない」のだよ。

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