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2005/08/29

約1ヶ月ぶりの庭の手入れ

植物アレルギーによる接触皮膚炎のため、庭の手入れができなくなって約1ヶ月、芝も庭木もハーブも雑草もひどい有様になってきたので、週末に手入れをした。
日中は暑いので、夕方を待って表へ出た。
もちろん、長袖シャツに長ズボン、手袋に帽子、という具合の完全防備である。
土曜日だけでは終わらず、日曜日も大汗かきかき、作業した。
電動バリカンの刃を交換したら、作業効率がぐんと上がった。
折角換えた刃を欠いてはもったいないので、木質化したローズゼラニウムやルッコラの茎は、刈り込みバサミで刈った。
ルーもえらく茂ったので、剪定し、取った芽を庭のあちこちに刺しておいた。
もちろん、猫除けのためだ。

静かな週末も、これまで。
今週末からは、節操のない連呼が始まる。
連呼禁止法」の制定が望まれるや切。

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2005/08/18

人類の文化の起源

テレビでも新聞記事でも、「進化したナントカ」とか「進化を続ける誰それ」とかいった、誤った表現がされている、ということについては、これまでも何度も書いてきた。
もちろん、生物学的な「進化」であるわけがなく、「変化」とか「進歩」とか言うべきところを間違えているのだ。

さて先日、国立科学博物館で「縄文vs弥生」という企画展を見た。
内容的には、これまであちこちの博物館で見てきて知っていることばかりだったが、土器や人骨のホンモノがゴロゴロしていて、触れるところは、ちょっと面白かった。
刀傷を負ったり骨を折ったり癌にかかったりした縄文人の骨があったりした。
怪我や病気でも、けっこう生き延びたということは、互いに面倒を見合うような文化があったのだろう。

そりゃそうだ。
数千年前の人間だからといって、アタマの中身は現代人とそれほど違うわけではない。
「進化」という点からすると、ほとんど同じと言ってよいだろう(もちろん現代人のほうが「進歩」しているとは言い難い)。
そもそも、数万年前にホモ・サピエンスが現われてから現代まで、脳が大きく変化するような要因は考えられないので、原初のホモ・サピエンスにできなかったことは、現代のわれわれにもできないはずだ。
逆に言うと、コンピュータを作ったりプログラムを書いたりする能力が、原初のホモ・サピエンスにもあったと言えるのだ。
その能力が、象徴表現だ。
象徴(表象)を使うことで、美術や音楽、工芸、文化が成り立つ。
コンピュータも惑星間飛翔体も、その延長線上にあるに過ぎない。

さてさて、その象徴表現の起源がいつごろであるのか、という記事が「日経サイエンス」2005年9月号に載っていた(「人類の文化の夜明け 早かった象徴表現の起源」)。
2万8千年前の壁画、7万5千年前の貝殻ビーズ、13万年前の線刻のある石……。
ホモ・サピエンスの起源は19万5千年前に遡る可能性があるという。
ワシらの思考能力は、そのころから「進化していない」のだよ。

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2005/08/14

読書三昧

接触皮膚炎に直射日光を受けると酷いことになりそうだし、このうえ虫に刺されたり別の植物のアレルギーを起こしたりしたら馬鹿だし、さりとて長袖シャツに長ズボンの完全防備で近所を散歩するのもナニだし、ということで、蟄居謹慎中。
先週も今週も、土日の休みは日用品の買出しに出たほかは、家で本を読んで終わってしまった。
潰れた(潰した)水泡のあとのかさぶたも取れたので、あと3日ほど我慢してクスリを飲めば、平常に復帰できるかなぁ。

以下、この一週間あまりの間に読んだ本のリスト。

スティーヴン・ストロガッツ『SYNC なぜ自然はシンクロしたがるのか』(早川書房)
村上亘寛『「心理テスト」はウソでした。』(日経BP)
日経サイエンス2005年8月号
日経サイエンス2005年9月号
エド・マクベイン『ビッグ・バッド・シティ』(ハヤカワ文庫)
宮部みゆき『ぼんくら(上・下)』(講談社文庫)
大久保洋子『江戸っ子は何を食べていたか』(青春出版社)
平井聖『図説江戸3 町屋と町人の暮らし』(学研)
竹内誠『図説江戸4 江戸庶民の衣食住』(学研)
大石学『大江戸まるわかり事典』(時事通信社)
保坂正康『あの戦争は何だったのか 大人のための歴史教科書』(新潮新書)
岡崎二郎『緑の黙示録』(講談社)

江戸モノが多いのは、ムスメの自由研究の資料として買ったものだからだ。
その他、ムスメから奪って読んだ、荒川弘『鋼の錬金術師』など……。
ちなみに、「ハガレン」の8巻目以降は、ムスメの自由研究が終わらないと読めない(買えない)のだった。

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2005/08/11

副腎皮質ホルモン剤に苦しむ

【科学的逍遙】にも書いたのだが、植物によるアレルギー性接触皮膚炎にかかってしまった。
以前に処方された合成副腎皮質ホルモン入り軟膏を塗っていたのだが、上腕の発疹とただれがなかなか直らず、ついに水泡までできてしまったので再び皮膚科へ行った。
その結果、さらに強力な軟膏と、飲み薬が処方された。
抗炎症剤のリンデロン錠(ベタメタゾン)、かゆみを抑えるゼスラン錠(メキタジン)、消化性潰瘍用剤セルベックスカプセル(テプレノン)の3種類である。
セルベックスは、リンデロンの副作用である胃炎や胃潰瘍を抑えるためのものだ。
リンデロンというクスリ、ちょっと調べてみたら、結構副作用の強いクスリのようだ。
ムーンフェースになったり、毛深くなったり、精神が不安定になったりするという。
ゼスランも、眠気が出るほかパーキンソン病様の自律性機能障害のきっかけになるそうだ。
やたらしゃっくりが出るのも、横隔膜の自律性機能障害と言えるだろうか。

もともと、副腎皮質ホルモン剤というものは、皮膚炎やアレルギーに効果的である代わり、投与の仕方が難しいらしい。
副腎皮質ホルモン剤を投与すると、血液中の副腎皮質ホルモンの濃度が上がるため、患者の副腎皮質がホルモンの生産をやめてしまうのだ。
そうなった状態で、副腎皮質ホルモン剤の投与をやめると、副腎皮質が急に働き始めることができず、副腎皮質ホルモン不足で障害が発生してしまう。
ということで、副腎皮質ホルモン剤の投与はいきなり中止するのではなく、徐々に服用量を減らしていく必要があるのだ。

さて、副腎皮質ホルモン剤の服用を始めて三日が過ぎ、朝・昼・夜の1日3回2錠ずつのパターンから少し減らして、朝2錠、昼・夜各1錠のパターンに変わった。
ところが、会社で弁当を食べた後、リンデロンとゼスランとセルベックスをブリスターパッケージから出しているときに悲劇が起こった。
マーフィーの法則によれば、丸いモノは転がってしまい、小さなモノは無くなってしまうものなのだ。
昼に飲まなければならないリンデロン1錠が、机の下に転がっていってしまったのだ。
かなり探したのだが、見つからなかった。
小さな白い丸いものはたくさん見つけたが、どれもパンチ穴の紙くずだった。

午後、ゼスランのもたらす眠気に耐えながら会議に出ていると、胸が苦しくなってきた。
胸が苦しいというか、胃がもたれたのか空えずきが出てくる。
これは、リンデロンの投与を中断したことになるのだろうか?
会議が終わってからインターネットで検索したところ、リンデロンを飲み忘れたと気付いたときにすぐ飲めとあった(次の回まで待って2回分飲んではいけない)。
そこで、早引けして帰宅し、夕食後に服用する分を飲んでおいた。

ようやく少々気分が落ち着いたので、この記事を書いている。
いやぁ、つくづく人体というものは生化学的バランスの上に成り立っているのだなぁ、と思った。
というか、ちょいとクスリを与えたり取り上げたりすれば、気持ちも体も変調させることができる。
神秘体験をさせるために幻覚剤を投与してたカルト集団があったが、ぜんぜん神秘的でもなんでもない。
ほんのちょっとの化学物質によって状態の変わってしまう身体、なかんずく脳という器官の不可思議さに驚くだけだ。

腕のかゆみはほぼ消えたが、まだ赤くただれている。
早いところ、物騒なクスリから逃れたいものだ。

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