« 春三題 | トップページ | 風媒花 »

2005/03/13

ホーガン『揺籃の星』を読んだ

ジェイムス・P・ホーガン著、内田昌之訳『揺籃の星(上・下)』(創元SF文庫)を読んだ。

う~ん。
センス・オブ・ワンダーというより、トンデモ感が強いなぁ。
やっぱり、ヴェリコフスキーの『衝突する宇宙』の理論(理論と言って良いのか?)を下敷きにしたところにそもそも無理があったのかなぁ。
彗星の軌道を捻じ曲げるほどの電磁力、というのがなぁ。
ワシは物理に関しては落ちこぼれなのだけど、電磁場って重力場を凌駕するほどの遠隔作用はない、って習ったような気がするけどなぁ(近距離では、電磁場は重力場を簡単に圧倒できる。エナメル線を巻いて乾電池につないで電磁石にすれば、地球の重力場に対抗して釘だろうとニッケル硬貨だろうと、ひょいと持ち上げられる)。

それに、どうにもあちこちで既視感(デジャヴ)を味わうのだ。

地球への天体の衝突をテーマに、人々がそれにどう対処するかを描く……というのは、映画『アルマゲドン』や『ディープインパクト』、その原作のクラーク『神の鉄槌』をはじめ、いくつも挙げられる。
シャトル打ち上げの緊迫感では、ベンフォード&ロツラー『シヴァ神降臨』に負けるし、彗星衝突前後の地上の混乱はニーヴン&パーネル『悪魔のハンマー』に負けてる。

ラストシーンの近く、宇宙船のハッチを(外から)叩く音に対して、閉じ込められた主人公たちが必死に叩き返す、という情景は、クラーク『渇きの海』のほうが緊迫感があった。

土星の衛星に植民した「クロニア人」の社会は、ホーガン自身の『断絶への航海』の「ケイロン人」社会の再利用だし。

クロニア人の宇宙船、オシリス号のデザイン(居住区を車輪状につないで、遠心重力を得る)も『断絶への航海』のメイフラワー二世号の焼き直しだが、加速時と減速時の慣性力を補正するため、伸縮するチューブでつないである、というところがイマイチ合点がいかない。
チューブでありながら、リング構造の一部であるためには、剛性も必要なはずだ。
オシリス号はスポークを傾けようとするところで無理があるのではないか?
幸村誠『プラネテス』のフォン・ブラウン号のように居住区だけを傾けるほうが簡単ではないだろうか?

恐竜の骨格と筋肉ではその体重を支えられる「はずがない」ので、当時の地球の重力はもっと小さかったのではないか、というアイデアから導かれる「仮説」は、ソウヤー『さよならダイノサウルス』のほうが突拍子もない分、面白い。
この恐竜の体重云々については、そもそも哺乳類の骨格や筋肉を基準にするのが間違いではないかなぁと思う。
奴らはケモノではなくトリなのだから。

そもそも、「計算上コレコレだから、ナニナニできる(できた)はずがない」という考え方は、主人公の批判する「古い、教条的な科学」なのではないだろうか?
空気より重い飛行機は飛べるはずがないとした19世紀の科学者のような……。
クラークの法則だよねぇ。
「あれだけ巨大な生物が生活できたということは、素晴らしく巧妙な適応戦略があったのだろう」というふうに考えるほうが科学的だよねぇ。

……ということで、どうも三部作の第一作らしいが、読み通す自信がない……。
やっぱり、トンデモ本を下敷きにすると、ホーガンといえども詰まらんなぁ。
『創世記機械』や『未来からのホットライン』のびっくり仮説は面白かったのになぁ。

|

« 春三題 | トップページ | 風媒花 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ホーガン『揺籃の星』を読んだ:

« 春三題 | トップページ | 風媒花 »