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2004/11/14

『へんないきもの』を読んだ

平川いくを著『へんないきもの』(バジリコ株式会社)を読んだ(文中敬称略)。
電子顕微鏡下でも活動するクマムシ(p.52)や、真の社会性哺乳類ハダカデバネズミ(p.28)、敵(というか餌というか)の武器を我が物としてしまうミノウミウシ(p.78)の話は、かつて『サイエンス』で読んだ。
そういった奇妙な生態を一般向けに紹介する方法として、こういう本もよいだろう。
大いに笑わせてもらった。
寺西晃のイラストがいい味を出している。

実際、何じゃこりゃあ、という妙な生き物は、身近なところにもいっぱいいるのである。
コウガイビル(p.38)を風呂場で見つけたときには、あんまりビックリしたので思わず下水口に流してしまった。
山でテントを張ろうと石をどけたら、その下の穴の中にたくさんの毛の生えたミミズのようなものがのたうっていたが、あれは何だったのだろう。

ただまぁ、どんなヘンな生物であろうと、40億年(くらい)を生き抜いてきた結果、そんな姿をしているのだから、馬鹿にしてよいわけではない。
よく「ゴキブリは3億年間進化していない」と言われるが、3億年間モデルチェンジする必要がないほど、ゴキブリのデザインは洗練されているということだ。
もちろん、だからといってゴキブリを好きになれるわけではない。
だから、ヘンな生物を見て「へんなの」と言ってもよいが、馬鹿にしてはいけない。

この本で減点するところがあるとすれば、シモネタに走りがちなところと、(ウケ狙いだろうが)生物を馬鹿にしているような表現があることだ。
もっとも、生物を見ていて「マヌケだなぁ」と思うことは多々ある。
ガレ場で寝返りを打ってずり落ちたニホンカモシカを見たときには、あいた口がふさがらなかった。
「マヌケだなぁ」と思って親近感を抱くのはいい。だが、馬鹿にしてはいけない。

まぁそのような欠点があるものの、「あのいきものは今(1)アゴヒゲアザラシ狂騒曲」(p.96)を読んでいて、生き物に対する基本的なスタンスは、ワシと共通する部分が多いようだと思った。
ワシも「タマちゃん騒動から野生動物との距離を考える」なんていう文章を書いたことがある。

もちろん、馬鹿にされるべきはマヌケな生物ではなく、ヒトのほうなのである。

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